今日も生きていこう

思慮深い(考えすぎな)早稲田大学文学部3年生の女が、「実践運動家でなければ哲学者になれないし、哲学者でなければ実践運動家にもなれない」という言葉を受けて、実践の一つとして試みるブログです。

きみ

きみのこころと

わたしのこころが近づいた、

その日のことをわたしは知らない。

 

きみを初めて見つけたときか。

きみを名前で呼んだときか。

 

きみはそこにいる。

 

きみは優柔不断であるから、

わたしは辛抱強い人間になった。

 

それともそれは、元からか?

 

きみはわたしを見つける。

きみはわたしの帰りを待っている。

 

きみがわたしを慰めるとき、

わたしはきみを、壊したくなる。

 

わたしはきみに、強制しない。

 

きみは優柔不断であるのに、

強制されるとプイとする。

 

へそ曲がりなきみ。

 

知っている。

 

きみは、近くにいる。

 

きみの前でオナニーをする。

きみのホクロの数をかぞえる。

きみの身体に顔をうずめる。

きみの牙を撫でる。

きみの目やにをとる。

きみを抱きしめる。

きみを好きだと思う。

 

きみを、鬱陶しく感じる。

 

わたしの、邪魔を、しないでほしい。

 

きみを置いていく、

目をそらして。

 

 

そして今日、

 

きみはちゃんとわたしの近くにいる。

 

わたしはきみを感じる。

 

鬱陶しいと、愛しているは、近い。

 

矛盾だ、と、人はいうか?

 

けれどもきみの、

不在を感じる、

ほかならぬわたしだから。