今日も生きていこう

思慮深い(考えすぎな)早稲田大学文学部3年生の女が、「実践運動家でなければ哲学者になれないし、哲学者でなければ実践運動家にもなれない」という言葉を受けて、実践の一つとして試みるブログです。

自らの行為を申し開くということ

「世人と交り、彼との間の遣取(やりとり)が一向に儘(まま)ならぬ時、私が更なる詞(ことば)を以て理解せらるを求めむとせぬのは、ただに煩を厭う故のみではない。その為に費される膨大な詞が、私には徒(あだ)ごとのように思われるからである。私の裡(うち)なる諦念は、理解を欲する情を、快不快の情に簡単に結んでしまう。日常の束の間の快の為に、多言を用いることを私は潔しとしないのである。加えて、世人の無智(むち)が、全体私の理解せられることへの希望を絶ってしまう。これは人をして、私を驕慢と云わしめる所以の心情である。しかし、敢えて反駁するならば、この驕慢は、別段独り私にのみ存ずるものでもあるまい。斯云うのは、私よりも遥かに学識優れた者の為には、私に解されむとする努力も亦(また)、等しく虚しいものであろうと思われるからである。」
(平野啓一郎日蝕』より)

 

 

私は決して驕慢な態度を示すことはしませんでしたが、言葉を尽くして説明しても徒労に終わるだろうと判断した人の前では、本質的な部分で沈黙していました。だから、上に引用した平野啓一郎さんの小説内の文章に深い共感を覚えました(ちなみに平野啓一郎さんの作品、特に『決壊』は多くの現代人に読まれるべきだと思います。長い小説ですが)。

 

私が今まで会って直接話をした人々の中で、沈黙をある程度取り払うことができた人は、本当に少ないです。一人の社会人の方と、一人の友人です。その二人に出会えたことは私にとって大きなことでしたが、心の底から共鳴する人物なんぞ、いないのかもしれません。

 

ただ時として、何も発言しないことは何も考えていないことと同じになってしまいます。
そのことは常に考えていて、けれども私自身は生きることと文学とがほとんど同義であるような人生を送ってきたため(それは博識であることとはまた別です)、言葉の限界と可能性をものすごく感じていて、それゆえに間違った言葉を発したくないという強迫観念に近い想いを抱えていました。

だけれど、早稲田大学で、この教授は信頼できる人物だなと感じている方が、
「人間は、自らの行為の理由を尋ねられたときに、申し開くことができるのだ」
(ノート上で要約しているので一語一句そのままではないです)
とおっしゃられていて、今の私にの心にとても響きました。
「申し開く」は、「account ability」と言い換えることができるそうです。「account ability 」の日本語訳を辞書で調べると、「責任を負うべきこと、説明責任」とあります。

私は、少しずつでも良いから私の行為に対する「account ability 」を実践していこうと思います。
すなわちこの投稿はその第一歩です。

 

 

 

やはりどうしても、私は今の社会が間違っている方向に進んでいるように思えます。結局のところほとんどの人々は、自分自身と自分の周囲の幸福を追求して生きているように見えます。それによって他者だったり、人間以外の何かだったりに対して代償を要求することは厭いませんね。不思議なことです。
ただ、かく言う私自身も両親に守られて今まで生きてきていますから、父と母の私への気持ちを踏みにじることはできるだけしたくない…….けれども、自らのその想いを乗り越えなくてはならない時はやって来ると思います。将来の人間たちと世界全体(人類も含めた)を見据えて生きていかなければならないから。これはあくまで個人的に強く感じているだけですが。

イデオロギーとは、
「歴史的・社会的立場に基づいて形成される、基本的なものの考え方。観念形態。一般に、政治的・社会的なものの考え方。思想の傾向。」(明鏡国語辞典より)
と定義されています。
私たちは、知らない間に様々なイデオロギーに支配されてしまっています。そして(無意識に)それに基づいて生きています。

 

そういったイデオロギーはそれこそ山ほどあると思いますが、最近特に感じているものは、
「講義に出て単位をもらえれば良い」です。

ある授業に出席し、授業内ですらあまり講義内容のことを考えず、さらにもちろん授業外ではその内容について全く再考することをしないという行為に、そこに費やされる時間に、一体どのような価値があるのでしょうか?
もちろん、卒業して安定した職を得る一番の近道は大学を卒業することでしょう。

 

………

 

私はそれを、そういう考えによって行動している人を否定はしません。なぜならそういった考えは、少なくとも今の日本社会で生きていくことを容易にする場合が多いと思うからです。

けれども、どうしても私は違和感を拭い去ることができません。

 

 

最後に、新聞記事を一つ。

f:id:rinsabu73:20170607000456j:image
切り抜いたものを写真に撮って載せたのですが、これは確か私が高校生(正確な日付を記録していないことが悔やまれます)のときに発見したものです。ただ、「私とほとんど同じ年齢の少年だ…」と感じたことを覚えているので、高2もしくは高3の頃だと思います。
川口と浦和の距離の近さも、当時の私の心にこの少年の存在が刺さった大きな要因でもあります。

私はそれからずっと、写真立てにこの記事を挟んで自室の机の上、よく見える場所に置いています。

そして、「この少年と私の違いは一体何だったのだろう」ということを考え続けながら生きています。

とにかく、考えることを止めてはいけないのでしょう。

 

(これは少し前に考えた文章です。私の思考はそのときからも変化しています。変わっていくことを恐れてはいけないのです。)