今日も生きていこう

思慮深い(考えすぎな)早稲田大学文学部3年生の女が、「実践運動家でなければ哲学者になれないし、哲学者でなければ実践運動家にもなれない」という言葉を受けて、実践の一つとして試みるブログです。

夜ですね

皆さま、生きてますか。

私は生きています。

 

狂人という定義とは何でしょうね?

私は狂人として生きられないならば果樹か何かになりたいです、枇杷の木なんて、いいですね。

 

田村隆一さんの、「帰途」という詩を知っていますか。

とても良い詩です。

 

言葉なんか 覚えるんじゃなかった

 

ね、そう思うよ、毎日。

 

最近はバタイユ『エロティシズム』を精読していますね。

依ると、エロティシズムとは、死に至るまで生を讃えることなんだそうな。

 

からだも伴わないと、身にならないからね、全部を見つめないと、私も。

 

あと梶井基次郎檸檬」すごく良いね。

女子高校生と呼ばれていた頃初めて読んだのだけど、当時はさっぱり意味がわからず困惑したのよね。なぜこの作品がこんなにも推されているのか…!?さっぱりわからんよ…と。檸檬をデパートに置き去りにして何が楽しいねん???と、ただただわからなかった。

うん、私もその時とは変わったんだね、感動してしまった、苦しくて清潔で。

「カーン」っていう擬態語がクライマックスでそ知らぬ顔で使われているのは、ちょっと愉快でしたね、いい意味で。一種のカタルシスを感じた気がしました。

 

あとは谷崎潤一郎も読んだ。

良いけど、『卍』はちょっと、男性から見た女性像という入れ物を取り払うことはできなかったのねと、いや、男性からみた女性の姿を書くことも批判はしないです、けれど、安易な部分もあるよなあと思ってしまった。

 

伊豆の踊り子』も読んだ。

情景がすごく、頭に浮かぶ、私は知らないことが多すぎるなと、改めて感じたけれど(植物の名前や、建物の構造の名称、そういう名称を知らずに生きることができてしまう世の中よ…なんとまあ画一してしまって、本当に心は暗くなる、情緒を失ってしまうのかな私たち、これからの私たちも)。

 

 

色々あったのだけど、今後は文学にとどまらずに学んでいく。

特に、美学(美術)、あと建築。

 

これは学ばなければならない。

 

やっぱり、総合的な知を身につける努力をしなければならないし、したいんだわさ、

 

それがなんとまあ、難しいことになってしまった今の世の中よ。

細分化に次ぐ細分化。なんでこんなに専門ばっかりつくってしまったかねえ……

まあ仕方ないのだけれどもさ、そうだとしてもこんなに細分化してたら希望(若き)を失って死んでしまう人増えますよ。もう何から手をつけてええんかわかんねえよって言ってね。あかんです。

 

あとね、沈黙。

沈黙がないがしろにされすぎているね、今。

特にソーシャルネットワークサービスとやらのおかげでね。

時代との折衝を常にはかりながら、知を深める努力をしなければならないのはわかっているけれど、時としてウンザリしてしまうね。

 

 

さて、

 

私は沈黙を好むしおそらくしばらくの間は選ぶ。

 

 

あなたは何を選択しますか?

 

生きている間に。

 

より、充実した問いを立てられるようになるために。

 

 

もうこんな夜も更けてしまいましたね。

いい夢をみてください、私も、みなさんも。

 

 

文体を壊すんだ!!!!!!

支離滅裂でもいいんだ!!!!それも意図の一つ。

 

最後にささやかな不安

月経が遅れている、不安…

避妊具つけたけどね、漏れていたとは考えたくないね、こんなことで不安になりたくないですよね!

 

ああ…おそらく大丈夫だと思うんですけど、、、

ではまた、生理が来ることを祈って(苦笑)