カミュ『転落』
カミュの作品で、『転落』というものがあります。
正義感に溢れた人望のある弁護士であった主人公が、「社会的」にタイトル通り転落する。すなわち、弁護士としての名声や、それに付随していた何もかも、弁護士としての「彼」に備わっていた人間としての性質も含めて全てを、失ってしまう。なぜなら「転落」以前の彼は、彼の生活は、どのような自分であることが自分にとって快いのかを知っていること、それを意識してか無意識のうちでか、彼自身にもどちらなのか明確にはわからないまま、"そうあるべき自分の姿"を実践することの上に立っていたから。
"そうあるべき自分の姿"であったはずの理想の自分が、いつのまにか彼を越えて、一人歩きをしていく。そして、彼の心の中から決して捨て去ることのできなかった何かが、そのような"あるべき自分"に耐えられなくなり、最終的に「転落」する。
そんな、今となっては場末のバーの常連でしかない彼が、そこに偶然やってきたお客さん(それは私たち読者であるかもしれない)に、独白するとうスタイルで小説は進行して行く。
「転落」以前の主人公も、社会的に成功していること、人あたりが良く常識的な正義感溢れる自分であること、そのほか皆が羨むような自らに備わった美徳……など、そういうものを虚しいと思ってしまう自分をおそらく、心の奥底では知っていた。
彼は今、昔存在していた自分自身のことを、遠くから見て、自分のことではないかのように、あざ笑っているように思う。
しかしその、どこか投げやりな姿勢に、私は切なさと人間に対する深い洞察と優しさを見る。
心から優しい人間だから、自らが心の底では違うと思っていた生き方を、しかし世間的の人々からの賞賛の視線を集める自分自身の姿を、最終的に許せなかったのかもしれない。
私はカミュの『転落』を読んで泣いた。
「人生が好き」
この男の、思わずポロリと出てしまった、目をそらしたくなってしまうような丸裸の本心。消せなかった思い。
ここを読んだ時、心に衝撃が走って、目眩がした。そして、泣いた。
しばらくこのセリフがページから浮き出て見えた。
人生が好き。
ああ、私もそうだ。
カミュは自殺を否定していた。
カミュ自身も自殺はしなかった。
過去に生きていた私が自殺しなかった理由も、生きることを選択した理由も、「人生が好き」ということと深く繋がっているんだ、そう確信した。
私も人生が好きだよ。
人間も好きだ。
だから、
だから、
人間の手で地球を終わらせてしまうことを少しでも避けられれば。
わけのわからない不幸を、なくせたら。
自分ができることはなんだろう。
文学に、どういう形で関わっていこう。
人と本を繋げたい。