今日も生きていこう

思慮深い(考えすぎな)早稲田大学文学部3年生の女が、「実践運動家でなければ哲学者になれないし、哲学者でなければ実践運動家にもなれない」という言葉を受けて、実践の一つとして試みるブログです。

きみ

きみのこころと

わたしのこころが近づいた、

その日のことをわたしは知らない。

 

きみを初めて見つけたときか。

きみを名前で呼んだときか。

 

きみはそこにいる。

 

きみは優柔不断であるから、

わたしは辛抱強い人間になった。

 

それともそれは、元からか?

 

きみはわたしを見つける。

きみはわたしの帰りを待っている。

 

きみがわたしを慰めるとき、

わたしはきみを、壊したくなる。

 

わたしはきみに、強制しない。

 

きみは優柔不断であるのに、

強制されるとプイとする。

 

へそ曲がりなきみ。

 

知っている。

 

きみは、近くにいる。

 

きみの前でオナニーをする。

きみのホクロの数をかぞえる。

きみの身体に顔をうずめる。

きみの牙を撫でる。

きみの目やにをとる。

きみを抱きしめる。

きみを好きだと思う。

 

きみを、鬱陶しく感じる。

 

わたしの、邪魔を、しないでほしい。

 

きみを置いていく、

目をそらして。

 

 

そして今日、

 

きみはちゃんとわたしの近くにいる。

 

わたしはきみを感じる。

 

鬱陶しいと、愛しているは、近い。

 

矛盾だ、と、人はいうか?

 

けれどもきみの、

不在を感じる、

ほかならぬわたしだから。

平野啓一郎さん

今日は神保町に行って、古本屋巡りをして来ました♪

神保町には初めて行ったのですが、たくさんの古本屋さんがあって、人々がそれぞれに本を手に取っている光景が、私はすごく好きでした。

本と街と人間が自然に共生している感じというか…。

行き帰りの電車ではスピッツを聴いたり、安部公房の「壁」を読んだりしていました。

神保町では学術系の本や、いわゆる古典というジャンルにカテゴライズされている本を買いました。

大江健三郎さんの全集も安く売られていて、やったー!と思って購入しました^ ^

大江健三郎さんの「われらの時代」という作品は特に、私にとって特別な作品です。

まあ、大江健三郎さんについての話も今度気が向いたら書きたいです。

そしてその反動…とでも言いますか、久しぶりにどうしても現代の作家の作品を貪るように読みたい(最近は知を得ようとして、学習机で鉛筆を持って気になるところに線を引きながら本を読むことが多いため、本を読むことを純粋な娯楽として楽しみたかった)と感じて、地元の図書館で現代作家の本を借りました。

その中の一つが、平野啓一郎さんの「高瀬舟」。

高瀬舟」は、以前読んだことはありましたが、彼の作品を多く読んだ今、再び読み直したいと思って借りました。やっぱり平野啓一郎さんは、天才的な部分がありますね。

個人的に、現代の日本に生きる人々に読まれるべき本を尋ねられた場合、平野啓一郎さんの「決壊」は迷わず挙げます。

平野啓一郎さんに脱帽する機会はそれこそ数え切れないほどありますが、彼のすごいところの一つは、第一作品の「日蝕」を書いているときから既に、"自分の全集を意識して"いたことです。

目先の名声や欲望や必要に屈せず、自らがやるべきこととして小説を書いていたのですね。

日蝕」「一月物語」「葬送」のような作品に取り組むことは、今の時代、本当に難しいことだと思います。

ただ、これらの作品がなければ今の平野啓一郎は存在しなかったのです。

(実際、日蝕は私もまだ最後まで読み切れていません。)

平野啓一郎という作家が存在することは、文学の世界…今の日本、世界全体…にとって、希望であるなと私は感じます。

さっき「高瀬舟」を読んで、なんとなくサカナクションの山口一郎さんにも通ずるところがある?と、ふと思いました。

どうなのだろう。

スピッツ草野マサムネさんは、その世界とはまた違うな、とも(私はスピッツからものすごく影響を受けています)。

(以下は雑記)

どんな形でもいいから、文学を通じて、他の人間と関わりたい。

そのためには、文学の世界に私も、参加することが必要だよね。

大学院に進もうとは考えているけれど、それはまだ自分が学ばなければならないことが多いと感じるから、自分はおそらく一生研究することはやめないと思うから、なのだけれど、私はどうやって文学に関わっていくのだろう?

簡単な自己紹介のようなもの

こんにちは、今日から5月☀️

雨も止んで、いい天気です。

 

私は早稲田大学文学部に通う、3年です。

 

私は中学くらいの頃から、世界が間違っている方向に進んでいる気がする…と感じる気持ちを長い間抱いていて、簡単に言うと生存危機の状況に陥ることがよくありました。

ただ、最近ようやくそこを抜け出したのではないかと自覚しています。

 

私は、自分の精神が危機的状況に陥る度に読書をすることでなんとか生き延びてきました。というより、私の人生は本を読むことと共にあったと言っても良いと思います。

そういうわけで、私がもっぱら親しんできたのは「話し言葉」ではなく「書き言葉」でした。

私と同じように「書き言葉」に親しんできた人々はおそらくSNSで発信することが得意ではないだろうと思います。私もそうです。けれど、そういう人間がSNSで発信することも、もしかしたら時には意義のあることになるのかもしれません。

 

最近では大学の授業で、「書き言葉」と「話し言葉」の違いは確実に存在すると何人かの先生もおっしゃっていて、その違いに悩むことはおかしなことではないのだなと安心しているのですが、高校〜大学1年の頃は自分が「話し言葉」の文化に馴染めないことを苦しく感じていました。私が必要以上に道化のように振舞っていたり、逆にずっと黙っていたりするのを不思議に感じていた人もきっといるだろうと思います。

基本的に、「話し言葉」というものは物事を単純化します。伝えたいことを明確に、簡潔にすることが求められる場合が多いです。ただ、わかりやすい説明のために選択された言葉が、それだけが相手には伝わってしまいます。そこからこぼれ落ちてしまうものが確実にあります(それは「書き言葉」にもありますが、相対的に少ないです)。長い時間をかけて話し合う、となればまた話は別ですが……。

 

 

前置き?のようなものが長くなりましたが、「書き言葉」に親しんで生きてきたというのは前提のようなもので、それに加えて20歳になって少しずつ自分の特質というか、譲れないことというのがわかってきました。

 

一つ目は、自分の言動によって他人を傷つけたくないという性質です。

意識的に、というのももちろん避けるべきことですが、私個人としては、悪意なしに、無意識に他人を傷つけてしまうことが最も良くないことだと感じています。

例えば、そこに第三者が存在する場合には、ある友人や組織に向かって、必要以上に好意を示すことは極力しないようにしています(第三者が少しでも嫌な気持ちになることが予想された場合)。この、第三者の疎外というのは日常でよく発生しているように思います。

 

上の例は近くの他者に対してのものですが、それは遠くの他者に対しても言えることです。日本に住んでいる人間、特に私のように衣食住に満足している人間はやはり全世界で相対的に見て、物質的に恵まれています。

餓死や戦争など、逼迫した死が身近なものではないという有り難さは、どう考えても感じるべきことです(北朝鮮のミサイル問題などはありますが、少なくとも私たちは今この瞬間は無事です)。

苦しんでいる人々をどうにか救いたいと、実際に外国に行き直接活動する方もいて、すごく尊敬します。ただ、私はそれとは違うアプローチで、資本主義社会という構造そのものや歴史などを学んで解決方法を見つけていく努力をしようと思っています。途方もなく長い道のりになるでしょうが…。

私が資本主義社会で働き、物を買うという行為が間接的に誰かを搾取していることになる…と一人が考えることは微力ですが、少なくとも私はそういう人間であることを辞めるつもりはありません。

 

ただ、他人を傷つけた経験は私にももちろんあります。

そのうちの少なくとも2人には心から謝りたいと思っています(もう忘れているかもしれないですけれど)。

 

 

 

譲れない特質としての二つ目は、世界がどのように成り立っているのかを知りたいということです。

ただ、現在の社会では学問は細分化されており、そのうちの一つの分野でさえも、網羅するのに途方も無い時間がかかることが多いです。だから、学ぼうとする者はまず、自分がどのようにアプローチするのかを自力で決めなくてはなりません。それは、学問を志しはじめた若者にとってはとても難しい問題だと思います。私も、どうしたらいいのか、何から学べばいいのか途方に暮れたことを覚えています。高校の勉強も、一時期はまったく手につきませんでした。その時に私を救ったのは本、特に文学でした。だからと言ってしまえば単純ですが、大学は文学部に行こうと決めました。

また、情報社会の影響や図書館サービスの充実などにより多くの本、情報が手に入るようになり、読むべきとされる本、知るべきとされる事柄がとてつもなく多くなりました。

それゆえに世界を知ることは究極的には不可能で、社会は驚くほど複雑だということが、直感的にわかる世の中になったのです。だからこそ、「自分がやるべきことはないのかもしれないな、自分はなぜ生きているのだろう」と思ってしまう若者はたくさん存在するでしょう。

もしかしたら、聡明な中高生ほど、希望が見えなくて自殺という道を選んでしまうのかもしれないと私個人としては考えています。

私自身も「死にたい」と思ったことは2000回くらいありますが、今は純粋な欲求として世界を知りたいと思っている自分を積極的に受け入れることができたので、まだ死にたくないと感じています。だから、どんな人も、死にたくて消えたくてわからなくて自分が存在意義のない生き物だと思えてどうしようもなくても、もう少し生きてみて欲しいです。今の社会に自然に順応できないような人こそ、絶対に生き延びてほしいと私は強く思っています。時間は偉大です、、。

また、今まで生きてきて、人々はマスコミに驚くほど操られているなと感じてきました。

本当に…どうしたらいいのでしょうかね…。

テレビが完全に悪だとは言い切れませんけれども。

例えば明日ミサイルが日本に落ちたとします。その場合、100年後に生きている人間が「歴史」として今の私たちを評価するならば、

"馬鹿だな、ミサイル落ちる前日にも、ニュースでグルメやファッションの特集を何のためらいもなく見て何の疑問もほとんどの日本人は感じていなかったんだ"

といったものになることだと思います。

 

うーん…大きな、なんというか…システムのようなものには逆らえないのかもしれませんが、これで、こんな状態でいいのかな?とはどんな時でも私は疑問に思っています。

 

今の社会でどのように生きていくべきか、

それを考えて判断するために自己の内側を探検していたのは19歳までの自分。

今は、既存の知を学ばないと…と心から思って良い意味で焦っています。

 

なんというか、ブログを始めたのは、どんなことを考えていてもそれを誰かに伝えられるような形にしないと、何も考えていないのと同じなのだという考えを持ち始めたことが大きな理由です。

 

とにかく、20年間色々なことがありましたが、結局どんなことも、私から知に対する欲求を完全に無くしてしまうことはできませんでした。

 

 

 

そして最後に、ようやくですが、私には(大きな)団体活動は向いていないのだと自覚しました。大きなものの思想、価値観に支配されてしまうのが自分にとっては何よりも怖いのだと思います。

言い換えると、権力が苦手だということです。

だから、これからの人生も、おそらく権力の周縁で、権力を抑制する存在として生きて行くだろうと思います。

ただ、そういう風にしか生きていけないことに、時々ものすごい寂しさを感じます。私はもしかして本当に冷たい人間なのかもしれない…と思うこともあります。

 

 

……今回はこの辺で。