今日も生きていこう

思慮深い(考えすぎな)早稲田大学文学部3年生の女が、「実践運動家でなければ哲学者になれないし、哲学者でなければ実践運動家にもなれない」という言葉を受けて、実践の一つとして試みるブログです。

毎日書くしかない!

毎日書くしかないのだ!!!!!!

 

 

好きな小説

好きな小説をもとに、考えてみるか…

 

でもとにかく言えることは、私は、自分の意思で生きていきたいということ。

誰かの不幸の上に立つ幸せはできるだけ避けたいということ。

死にたいと思っている誰かに、あとちょっとだけ生きてみようかなって、思わせることができるような人生を歩みたいということ。

 

 

☆好きな小説

吉田修一「さよなら渓谷」

 

絲山秋子「ばかもの」「海の仙人」

 

山田詠美「ひざますまいて足をお舐め」

               「姫君」  「ジェントルマン」

 

平野啓一郎「決壊」

 

村山由佳「ダブル・ファンタジー」

 

多和田葉子「文字移植」

 

 

うーむ…

また今度、一作一作紹介でもしようかな。

 

 

わからない。人生…生き延びてきた人生……

 

縛られて?いるの?無意識に?

安全地帯か

 

浅草ロック座

先週の土曜日、初めて浅草ロック座に行きました。

 

本当に心の底から感動しました。

 

特に、灘ジュンさんと南まゆさんが素敵でした。

灘ジュンさんが引退ということで、ファンの方々が花束を渡していたのですが、それを見て泣きそうになってしまいました。

 

踊り子さんたちに本当に憧れました。

 

お客さんの作り出す優しいというか、あたたかい空気にも感動しました。

踊り子さんたちも、お客さんのことをすごく大事に思っていることがわかりました。

 

 

私もあの舞台に立ちたいと思いました。

その気持ちが離れなくて、どうしたらいいのかわからなくなってしまいました。

 

ストリップは、言葉のない芸術です。

肉体と美と魂の芸術だと感じました。

あとは、人生そのものを見た気がしました。

本当に素晴らしかった。

 

良くも悪くも言葉にこだわってきた、言葉に苦しめられて同時に生かされてきたわたしという人間が、ストリップに心を奪われたということは何を意味するのか。

 

私は、

 

どうしたらいいのかわからない。

 

自分がわからない。

 

 

 

本当は世間を気にしないで生きていきたい。踊り子、さらにはAV女優に憧れているけれど、なってはいけないのだろうか?

 

家族を悲しませるのだろうか?

 

プライドを持って、プロになるというのでも、家族は悲しむだろうか?

 

 

わからない。

 

小説も頭に入らない。

 

生きるために、私は。

私は…

落ち着くために、書いてみたけれど

 

私は、月のような人間になりたい。

平塚らいてうは、原始、女性は太陽であったと言ったけれども。もちろんそれは、心に残る、力のある文章ではある。ただ、今を生きなくてはならないから…。

確かに、私自身も太陽のような人間がいるから死の危機を乗り越えたのだよなと思うこともある。ある、というか、いつも思う。

一番身近な太陽は妹。最終的に憎むことのできない愛嬌と優しさがあって可愛らしくて、まさに自らの力で光り輝いている。

 

私は、自らの力で光るというよりは、まず、そこに存在している。ただ、存在している。

そして、太陽の力を借りて光る。

太陽のような人間のことを馬鹿にしては絶対にいけない。

今までに光を与えてくれた何人かの太陽のおかげで、私は月として光る可能性をやっと得る。

死なずに。

月は、夜になると光る。

月は、夜を照らす大きな光になる。

 

 

私は家族に感謝している。今は、父のことも母のことも妹のこともそれぞれに好きだ。

だから、私はこれからどんなことをしていくにしても、家族を大事に思う心と態度は変えない。

 

 

人間は、現れては消えていってしまう。

どこへ消えるのですか。

その不在は。

 

 

私を生かしてくれた大きなものは、家族と猫を除くと三つある。

 

まずは小説。

小説のない人生なんて考えられない。小説には、一人の人間への圧倒的な働きかけがある。

私は作者の苦しみから出た作品が好きだ。そしてもちろんそこから出たユーモアも好きだ。

小説は、一人の人間を救い、一人の人間を変えることができる。小説を読むのは、生きていくためと、人間を好きになるためではないかと思う。

私はずっと、人間を好きになりたいと思って生きてきた。

 

 

次のものは、睡眠。

睡眠は私を既成の価値観から守った。

睡眠にまつわる非現実は、言い換えてしまえば正真正銘の現実だった。夢は夢では終わらない。もちろん、長い期間を経て形成された既成の価値観をはなから否定するつもりは毛頭ないけれど、私は、世界そのものを感じる私を鈍らせたくなかった。

睡眠は、時間という概念に反抗することもできた。そこでは時間は一定でもなければ、決して進み続けるものでもなかった。

 

 

そして最後は、エロスだ。

私がここで言うエロスとは、一般的なエロスの意味であるセックスも含まれてはいるが、それを超えた大きな意味で、生きることそのもの、のことを指す。これはフロイトの言うエロスに似てる部分があるが、私はフロイトにそこまで詳しいわけではなく、フロイトから影響を受けてそのように考えるようになったわけではない。

私にとってのエロスとは、生そのもの、生への希求そのものであると感じたのは、生まれた瞬間から与えられていた動物的な勘によるものだと思う。

一人の人間は、自らのエロスによって自らの生を生き抜くことができるのではないか。

エロスとは希望だ。絶望すらをも含んだ希望だ。

人間は、自分を表すレッテルとして第一に職業を用いるが、(例、彼はプログラマーだ、彼女は専業主婦だ)私は、職業というレッテルよりも先に、むしろ人間はみな、「自らのエロスを追求するもの」という存在であるべきであると思う。それを胸を張って掲げるために、自らのエロスを探求するべきではないのか?

特に、生き抜くためには。

 

とは言っても、実は私個人のエロスには、官能的な意味での、俗にいう性(セックス)に関連するエロスが多分に含まれている。

(これ以後便宜的に、この意味でのエロスをエロと呼ぶことにする)

 

私は、エロは世界を救うと信じている。

 

私の中では、エロとエロスは密接に関わり合いながらクロスしている。交錯している。

 

生きるために、生きていくために、人間を好きになるために、月になるために、エロスは、エロは、私にとって、一生をかけて研究していく、これこそがそのテーマなのではないかと、私は、あるきっかけによって悟ったのだ。それはほとんど確信とすら呼べるものだった。

 

これまで私はエロスをまだ、恥じていた部分が、少なからずあったのかな。

 

エロと、エロスと、人間と愛と生と死…。

 

研究する人間か……あとは、ユーモアも忘れない。

 

 

 

 

どんな決断も痛みが伴うもの

人は皆、苦しみを抱えている。

 

私には一人親友がいるのだが、その人がさっき、その人にとってすごく大事な決断をした。

 

とても苦しそうだが、私はどんな状況でも彼女を信じて味方でい続けよう。

 

 

私は、大学2年生の夏合宿まで競技ダンス部という団体に所属していた。

彼女とはそこで出会った。

 

高校時代にサッカー部を途中で辞めたことが、それまで挫折経験のなかった私にとても大きな傷を残したことが心の中にあったのと、

(その後所属した山岳部ではとてもいい思い出ができたのだが)

 

一生付き合える友達が欲しいなと思い、大学で競技ダンス部に入った。

 

しかし、競技ダンス部は想像以上に過酷で、授業以外のほとんどの時間をダンスに費やすことが求められた。

同期や先輩は、ダンスを愛している人間が多かった。

 

でも、私はやっぱり、ダンス以上に本を愛していた。

そして、2年の5月くらいに、私は競技ダンスに大学生活を捧げることはできないなという結論に至った。

しかしどうしても逃げたくはなかった。

だから、誰よりも努力して、後悔しないと言えるまで練習した。

 

そうして、競技ダンス部を辞めた。

たくさんの思い出が残った。

 

後悔しないと言い切れるまでやったけれど、それでも夜中に一人、どうして私は孤独を選ばなくてはならなかったのだろうと涙出る日もあった。

 

文章も書けず、ベッドから動けない日もあった。

 

 

しかし、私は、もう一度自分の人生を生きるとしても、このように生きるだろう。

 

色々な失敗をして、それから、その上で、もっと小説を、本を愛しただろう。

 

これでいい、前を向いて生きる。

 

みんなも、前を向いて生きている。

 

 

私も周りにいる誰かを幸せにできるようになろう。

今までは、小説を書くことだけを、それなのに書けないでいる自分の悔しさばかりを、考えていた。

やっと気がついた。

 

それだけでは、いけないということ。

 

 

それを教えてくれた付き合っているY

バイト先の先輩のAさん

そしてM

 

そのほかにも、たくさん(とは言えない笑)大事にしたい人、いるじゃないか。

 

今あるものをまずは大切にしろ。

 

本を愛する気持ちは、そんなに簡単に消えるものじゃないだろう?

 

無口の弊害

昨日別れ話をするときに、

俺、言ってくれないとわからないから色々伝えて欲しかった

と言われた。

 

私はどうして黙ってしまうのだろう。

どうして。

馬鹿にされたくないのか、弱いからか。

 

私は、付き合っている人には100ある自分の100を出したい、そういう人と付き合いたいのだ、と言った。それができないのが苦しいと言った。だって曲がりなりにもこんなにたくさんいる男性の中で一人を選ぶのだから、喧嘩してでも自分の全てを見せたいと思うのだ。根がロマンチストだからね(笑)

でも、それは…わがままなのかもしれない。

自分の完全に合う人間なんていないよね。

だから人はコミュニケーションして伝え合うんだよね。

私は…今あるものを大切にできていないのだと気付いた。

 

 

向こうは、人付き合いをするときはいつも自分の中に色々あるうちのどこかの部分を出しているから、俺は人には人の特徴っていうものがあると思ってるから、それぞれに合う部分の俺を見せられればいいんだ。

と言っていた。

 

なるほどな、平野啓一郎さんの分人主義かな。

 

 

私は完璧主義のロマンチストなのだろう。

 

 

あとは、付き合っている人のことを私は大事にしていたつもりになっていたけれど、全部それは自分本位のことだった。

 

ごめんなさい。

 

 

昨日別れたあと、悲しくて悲しくてやっぱり好きだと思って、今日会ってくれませんかとLINEを送ってしまった。

 

どうしようどうしよう正解がわからない。

正解なんてないけれど。わかっている…

 

 

雑事

本を読んだり勉強したり文章を書いたりして1日が終わってしまうので、主に付き合っている人と話すことがない。

 

何してるの?と聞かれると、困ってしまう。

 

私が話すことがそもそも得意ではないのと、文学に対する気持ちを伝えることが恥ずかしいと感じてしまう。

 

すごく、もどかしくて心がもやもやする。

 

 

言葉にできないことが多すぎます。